書籍・文献調査

「石州犬」や「中村鶴吉さん」に関する記述のある書籍を探して、どの本にどのような記載があるのかを調べています。調べたものの一部ですが、ご紹介いたします。

 

(1)郷土史・地元研究等に関する書籍

   ●「石見犬」発行:石見犬保存会(S31)

          ●「山陰の動物誌」著:上田常一氏(S39)

   ●「島根の暦」編者:NHK松江放送局(S40)         

          ●「随筆 石見物語・復刻版」著:木村晩翠氏(S57)

 

(2)柴犬に関する書籍

   ●「柴犬」編集:愛犬の友(S43)

   ●「歴史に残る思い出の柴犬」編者:愛犬の友編集部(S56)

   ●「柴犬研究六十年」著:中城達雄氏(H7)

   ●「犬種ライブラリー・柴犬」編者:愛犬の友編集部(H14)   

   ●「愛犬の友 柴犬マニア」編者:愛犬の友編集部(H29)  

 

(3)日本犬に関する書籍

         ●「昭和日本犬の検討」発行:犬の研究社(S11)

         ●「日本犬中小型読本」編者:愛犬の友編集部(S36)

         ●「日本犬大観・復刻版」編者:愛犬の友編集部(S62  S28の復刻版)

         ●「日本犬のすべて」発行所:社団法人 日本犬保存会(H17)

         ●「日本犬保存会創立五十周年史(上下巻)」発行所:社団法人 日本犬保存会(H17)   

 


(1)郷土史・地元研究等に関する書籍

石見犬 創刊号

 

 

編集兼発行人:鳥居 勇さん

 

発行日:昭和31年5月30日

発行所:石見犬保存会(島根県益田市教育委員会内)

後 援:益田市文化財審議会

印刷所:株式会社大内印刷所(山口市)

ページ:34

価 格:150円

島根県立図書館で複写。持ち出し禁止本。 

 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所】

■全編

 

昭和30年代、官民あげて益田市では、石州犬(地元では石見犬)の保存と繁殖に取り組んでいたことがよくわかる一冊です。戦前に中村鶴吉さんが石州犬を山出し犬として送り出したことにより石州犬の名声が広まり、戦後、全国から「石州犬が欲しい」という問い合わせが益田市に殺到したようです。ただ、この当時にどれだけ純粋な石州犬が残されていたかは、わかりません。

この本は「創刊号」とあり今後も継続の心意気が伺えますが、残念ながらこの創刊号一冊で終わったようです。

 

 

●目次(個人名は略

表紙:石見犬保存会種牡犬 なる号

巻頭言:益田市教育長 

発刊の辞:石見犬保存会長 

祝詞:益田市長

石見犬雑感

石見犬の話 

お宅の犬は 

石見犬の蕃殖 

石見犬保存会の歩んだ道 

犬の病気と手当について 

歴史に名を残した石見犬 

可愛いいコマよ 

石見犬の登録と会規約 

石見犬のよさ 

見犬保存会役員

石見犬保存会員紹介

石見犬種犬紹介

石見犬犬舎号紹介

交配・出産報告

編集後記

 


山陰の動物誌(山陰文化シリーズ2)

著 者:上田 常一さん

明治36年島根県那珂郡国府町に生まれる。浜田中学をへて京城師範卒業。

島根師範学校教授をへて当時島根大学教授。農学博士。島根県文化財専門委員。

「朝鮮産甲殻十脚の研究」「日本淡水エビ類の研究」

発行日:昭和39年1月5日

発行者:田江 武彦

発行所:今井書店

印刷所:今井書店

ページ:155

価 格:280円

島根県立図書館で借りました。ちなみに直近の当誌の返却日:63.8.14 

 

 

 

 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所】

■目次:ほ乳類→ 3.石見犬とはどんな犬か(9~13p)

 

【その概要】

●日本犬

シーボルトの日本動物誌をもとに、当時の日本犬がどのようなものであったかを紹介。図版から、シーボルトが来日した頃の江戸時代の日本犬よりも、この本が書かれた昭和30年代頃の日本犬の方が、スマートな感じがすると筆者は述べている。(その間、約120年)

 

●石見犬の特徴

著者が浜田市の中学校に通っていた頃(大正10年頃)は、立ち耳で尾を巻いた赤毛の犬をよく見かけたとのこと。当時の人は「赤犬」と呼んでおり、中には赤犬を食べる人もあり、筆者もご馳走になったことがあると記載されている。

また、具体的な石見犬の特徴も記載されている。これらの専門的な情報や写真は益田市の鳥居勇さん(石見犬保存会)より得ている。

※この特徴は、中村鶴吉さんが昭和11年に書き記したものを参考にしているように思われますが、一部に異なる点が見られるのが興味深いですね。追って比較してみたいと思います。

 

●雑犬化

しかし、それらの特徴を備えた犬は、非常に少なくなっており、昭和37年に著者は、鳥居勇さんと共に益田市の山間部に入り、40頭の犬を調べたが、完全な石見犬を見つけることはできなかったとのこと。「これは住民が石見犬の価値をわきまえず、飼育管理がるうずであるために、雑犬との混血に放任されているからである」と述べている。しかしながら、さらに奥の交通不便な山間地には純血種が残されているのではないかと期待している。

 

筆者は、純粋な犬でも山奥から連れ出して町で飼育すると本来の特徴が崩れてくるので、純粋石見犬は生来の山間奥地にて粗食のもとに保護されるべき、人工繁殖、人為選択のもとにできた小型日本犬と石見犬とは別なものであると考えている。


島根の暦

 

 

編 者:NHK松江放送局

昭和38年・39年に放送されたラジオ番組「島根一口辞典」を編集し出版したもの。

発行日:昭和40年3月25日

発行所:株式会社 報光社

印刷所:株式会社 報光社

発売所:千鳥書房

ページ:155

価 格:750円

島根県立図書館で借りました。ちなみに直近の当誌の返却日:63..11.11

 

 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所1】

■目次:7月17日 石見犬(231p)

 

【その概要】

●「日本犬の元祖だともいわれている」と書かれている。

●続いて石見犬の特徴。

●明治の終わりころまではたくさんいたが、大正時代より雑種化が進み、ほとんどいなくなった。しかし、「益田市の犬の愛好者を中心に、石見犬の保存会ができましたが、それでも今は、益田市、那珂郡、美濃郡などにわずかに残っている程度で、今のうちに充分な保護を加えないと、絶滅のおそれもあるということです。

※NHKのラジオで放送されたのが、昭和30年代後半です。どれだけの石州犬が残っていたことでしょうか。。


随筆 石見物語(復刻版)

 

著 者:木村晩翠さん

三隅町出身。明治5年~昭和34年(18721959)

小学校教師として教育に力を尽くす。小説・随筆・郷土史など数多く執筆し、昭和28年に島根県知事より文化功労者として表彰される。浜田の人物より

「地方史家、謡曲石見宝生流の祖」島根県歴史人物事典より

発行日:昭和57年4月2日

発 行:河内八幡宮式年大祭奉賛会

事務局:代表者 杉山富賀さん

印刷所:柏村印刷株式会社

ページ:608p 価 格:限定版1000部 

島根県立図書館で借りました。ちなみに直近の当誌の返却日:63.8.17

 

 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所1】

■目次:続編→石州犬(516p)

 

 【その概要】

●島根県は神代の時代より日本文化の中心地であり、犬は大和民族の移動に伴われて存在したと言った内容から始まる。

※中村鶴吉さんが昭和11年に書いた原稿の書き出しに似ています。

●特に、石州山丘地帯の犬は「断然他地方に於いて発見し難い純潔優秀なるものであって…」と記載。

●以降は、石州犬の具体的な特徴が記載されている。

※地元では「石州犬」ではなく「石見犬」と呼ばれることが多いのですが、三隅町の出身である著者が「石州犬」と記しているのが興味深いですね。この情報は地元からではなく、中村鶴吉さんが書いた文章を参考にしているのではないかと推測します。


(2)柴犬に関する書籍

柴犬

 

編 集:愛犬の友

 

発行日:昭和43年4月20日

発行者:小川誠一郎さん

 

発行所:誠文堂新光社

※販売されていないので、広島県立図書館から相互貸借サービスによって借り受ける。

 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所1】

■目次:柴犬各地の現況→関東地方→今日の柴犬の始まり(146p)

 

【その概要】

●今日の柴犬の基礎は、石号とコロの交配に始まること、それは昭和13年11月5日であり、昭和14年1月6日にアカが産まれたと記されている。

●このアカは、「両親の長所と短所を巧みに補償しあった近来のヒット」と評価されている。

●毛質、体型は父似で、父のやや目の大きいところ、老犬のため後ろ足が逆飛節な欠点は、母犬により立派に補償されていたとのこと。

●アカは「落ち着きと品格ある気品を保ち…凛たる気魄をたたえ、将来相当の成果をあげるものと認められる」とある。

●石の出自について「日本犬中小型読本」では、石の両親が、久原(島根)メコチ(島根)とあるが、日本犬保存会の台帳では、不詳とある。

※石の両親は、資料により記載がまちまちです。「メコチ」でなく「コチ」と書かれているものもあります。また、当誌では、「石(島根下山氏)」となっていますが、石は中村鶴吉さんが佐藤武雄さんに譲ったというのが通説ですので、この下山氏とは、誰なのでしょうか?本当に実在した人なのでしょうか?

 

「石(島根山下)」とよく書かれていますが、この(山下)の記載が(下山)と転じたのでは??

何より特筆すべきは、今気がついて驚いたのだけれど、アカの審査員二人のうちの一人が、あの山陰柴犬の尾崎益三さんでした!出自についての記載は、また別の機会に追いかけていきたいと思います。

 


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所2】

■目次:美濃柴犬のすべて 石川雅宥さん(218p)

 

【その概要】

石州犬そのもののことではありませんが、興味深い部分がありますので一部紹介します。

「長野県が在来の信州柴犬の絶滅した戦後、地元の雑犬に一顧だにくれず、いち早く山陰系、四国系の柴犬を主流として作出されたアカ号の血を受けた中号を基礎として、他府県より血度の正しいこれらの血を受けた基礎犬を移入し繁殖作出を行ない、血度の正しい小型日本犬をもって信州柴犬として再出発し、現在では、自他共に許す柴犬王国長野県として君臨し戦前の信州柴犬に劣らない名犬多数を輩出し、これらの犬が今の柴犬の主流になっていることはその功績も大きく実に立派な態度であったこと敬服せざるを得ません。」

※泣けます。。。


歴史に残る思い出の柴犬

 

編 者:愛犬の友編集部

 

発行日:昭和56年6月10日

発行者:小川茂男さん

 

発行所:誠文堂新光社

※販売されていないので、広島県立図書館から相互貸借サービスによって借り受ける

 ●この本は、昭和7年から49年までの、柴犬の名犬カタログ的な本である。2部構成となっていて、前半は、「大臣賞に貢献した犬」25頭、後半は「大臣賞犬」48頭が紹介されている。

●それぞれ1ページまたは見開きで、個々の犬の写真、紹介文、両親、登録者、繁殖者などが記載されており、とてもありがたい本である。もちろん、絶版のため、図書館で借りてきたもので数日後には、返却せねばならず、慌ててこの記事を更新している次第。

 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所1】

■目次:大臣賞に貢献した犬たち→石(7p)

 

【その概要】

●先に読んだ本で「石(島根下山氏)」とあり、書籍によっては「石(島根山下)」とあるので、転記ミスなのか実在する人物かと???に思っていたところ、この本に出会ったことで、下山さんが実在したこと、その人が繁殖者であることが判明。ここではこう記載されている。

 

登録者・中村鶴吉(東京)

繁殖者・下山信市(島根)

こうして、少しずつ、いろいろなことがわかってくるのが、調査・研究の醍醐味でもありますね!

繁殖者とありますが、中村鶴吉さんが、石見山中を探査している時に出会い、石を譲り受けた人だと思います。

ちなみに、中村鶴吉さんのことは四方八方手を尽くしていますが、未だに探せていません。中村さんという名字は日本では8番目に多く、益田市にも数百人おられるようなので、困難を極めていますが、下山さんという名字は、全国614位、益田市には数人ということですので、こちらから探していくという手も考えられます。

 

●この原稿を書いているのは松浦伸夫さんという方で、興味深い箇所を抜粋すると。

「昭和10年頃、大学一年生のときに犬の研究をむさぼり読んだが、エンペーカー中村鶴吉氏の名前がいつも出ており、かなりの柴犬の大家であろうと想像していた」とのこと。

その頃の書物に出会いたいものですが、戦前のものはほとんど見ることができません。

ただ近いうちに上京して、日本犬保存会で戦前の会報を見せて頂ける事になっています。

楽しみです!♪


【この本の中で石州犬が記載されている箇所2】

■目次:大臣賞に貢献した犬たち→杢(9p)

 

【その概要】

●昭和12年に開催された展覧会で入賞した島根の犬。石州犬と思われるが、中村鶴吉氏の名前が一切なく、別ルートで島根の犬が出てきたのかは不明。こう記載されている。

 

父・島根・不肖

母・島根・不肖

登録者・倉恒繁雄

繁殖者・高橋恭亮(島根)


【その他特記事項】

石州犬以外では、因幡犬または山陰柴犬と思われる犬も数頭紹介されている。

「赤」

「ミクニ」

「太刀」

「タキ」

「鷹津女」山陰柴犬育成会の長尾節二さん所有の犬。先日、山陰柴犬研究会でお会いしてお話を伺うことができました。詳細は、また追ってアップいたします。

 


柴犬研究六十年〜柴犬の純化と固定化をめざして〜

 

編 者:中城龍雄さん

発行日:平成7年3月31日

発 行:図書出版・形成社

価 格:6000円

●柴犬保存会

 

石州犬を調べ始めて、最初に読んだ本です。絶版になっていましたが、直接「柴犬保存会」に申し込んで購入することができました。

石州犬の「石号」や中村鶴吉さんの事が各所に記載されていて、石号が柴犬の祖犬であることや、中村鶴吉さんが実在したことなどを確認でき、感動しました。

 

また、犬に関しては私はまったく知識がありませんでしたので、柴犬や日本犬の基本なども、学ぶことができた一冊です。


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所1】

■目次:第1章 柴犬の起源と歴史→二.戦前の柴犬(14p)

 

【その概要】

●戦前に山出しされた優秀な柴犬十頭の中に、石州犬「石」と「ユワ」の名前があげられている。

(石とユワのみ記載されている事項をすべて転記)

・ゼマ(北海道産)

・十石(長野・川上産)

・慶(長野・川上産)

・毛野(秩父産)

・トラ(山梨産)

・ユワ(黒ゴマ、雄、42.5cm、巻尾、島根産、昭和七年生、中村鶴吉氏)

・石(淡赤、雄、41cm、巻尾、島根産、中村氏→佐藤武雄氏)

・雲(阿波産)

・コロ(四国産)

・斐太(岐阜産)

●この中で、雌犬は四国産のコロのみ。老犬が多い上、当時は良質な雌がいなかった結果、貴重な血が生かされなかったとのこと。ユワは三胎で直子が7頭できたとのことだが、その後この血は残せなかったと記載されている。そして以下に続く。

「ただ石とコロとの間に、アカとイシ(富嶽・堀内金次氏)という2頭の赤雄ができてアカ(鋭い三角眼、41cm強、坂口仁氏)が今日の柴犬の源流となっただけです。同胎のイシは父犬・石の短所(丸めの目、棒立ちの飛節」を受けたためか、坂口氏→黒沢氏(群馬)→樋田秀夫氏(戦争中)と動きましたが、ついに優秀犬は残しませんでした。

 

 

石号が柴犬の祖犬となったのは、石号そのものの生来の素晴らしさもあるかもしれませんが、良き作出者(下山氏)、良き登録者(中村氏)、良き飼育者(佐藤氏)、良き雌(コロ号)、良き子(アカ号)に、奇跡的にも恵まれたからではないかと思います。

石号のような、純粋な小型日本犬は他にもいたのですが、石号だけが、現在に続く良き血を残すことができたのだと、この本を読んだ時にそう思いました。感動的です!


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所2】

■目次:第3章 柴保の金章犬ができるまで→五.戦前の柴犬について(67p)

 

【その概要】

●戦前の代表的な柴犬として次の8頭があげられている。

(石とユワのみ記載されている事項をすべて転記)

・ゼマ(北海道産)

・十石(群馬産・信州川上系)※前記とやや違いあり

・慶(川上系)

・トラ(山梨産)

・ユワ(黒ゴマ、雄、42.5cm、巻尾、島根産、昭和七年生、中村鶴吉氏)

・石(淡赤、雄、41cm、巻尾、島根産、中村氏→佐藤武雄氏)

・雲(阿波産)

・コロ(四国産)

※前記より、「毛野」と「斐太」が削除されている。

●書かれている内容は、前記とほぼ同じだが、興味深い点を抜粋する。

「以上の犬たちの特徴は、第一に相当の年齢になってから世に出てきたこと、したがって第二に、ある程度までその犬の本質が充実し完成されていたこと、そして第三にその生育期にはたいてい山間でほとんど自然の状態で飼われ、いわば大昔の日本犬に近い状態(環境や飼育法など)で育っていたことなどです。それらの多くが、柴犬の魅力を豊かに持ったものでしたから、柴犬研究の上では役立ちましたが、作出という面からは、立派な雄にふさわしい良質の雌が少なかったことや、生殖不能の老犬もいたため、石×コロの一胎の系統以外は、それら代表犬の直子や孫たちを、子犬時代から観察し研究することができませんでした。

「山出し犬」の意味と本質というものがよくわかる一文ですね。それにしても、石号というのは、「強運」な犬ですね!!

その後、石×コロの唯一の系統は、多くの日本犬が戦禍やジステンパーで命を落としていく中、幾多の難からも逃れ血を絶やすことなく今に続くわけです。感動!!


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所3】

■目次:第3章 柴保の金章犬ができるまで→六.戦後柴犬史の出発点→(1)石とコロ、そのほか(70p)

 

【その概要】

●中村鶴吉氏が、戦前に島根から「山陰の柴犬」の代表犬を取り寄せた中に「石」がいたこと、コロとの間に、戦後柴犬史の本流を形成したアカー富嶽が生まれたことが記載されている。

●石の特徴については、次のように書かれている。

「石は『逆飛節』と『ややずんぐりと太く重い感じ』を除けば、将来の柴犬の一つの型と思われる一尺四寸(42.5cm)弱の、うす赤の綿毛の多い雄」

●また、通常よく見る「石」の写真に関して、興味深いことが記されている。

「石の、一般に知られている平島藤寿の横姿は、渡辺肇が触れているように、平島がガラスの原板を『後頭部の盛り上がりは、こうあるべきだ』と考えていたように修正したもの(平島が筆者に語り、かつ原板を見せた)だが、当時は今日の金章犬に見られるような後頭部の盛り上がりが力強く目立つ柴犬は皆無といってよかったでしょう」

●また石州犬の「ユワ」についても記載されている。

「また、石と同時代の名犬ユワについても、遠方から見ても判然とわかる雄とか、この犬は子を生んでいないとどこかに書いてあったが、私は『犬の研究」誌上で何頭かユワの子犬の写真を見ており、それからジステンパーで死んだということも知っています。当時、相手となるべき秀れた雌が少なかった結果、その早死にと共に血統的なものは残さなかったが、ユワは、柴犬の雄(ゆう)として特筆すべきものの一つでした。


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所4】

■目次:第3章 柴保の金章犬ができるまで→十二.戦後柴犬の傍流の経過について

 →(4)山陰の柴犬たち(戦後再出発の山陰犬舎の犬たち)(73p)

 

【その概要】

●尾崎益三さんや山陰犬舎(やまかげけんしゃ)に対する思い、考えが詳しく述べられている。

ポイントは次の通り。

・もともとは山陰の柴犬に関心を持っていたが、戦後に尋ねたところ、正直がっかりした。

・しかし「太刀号」と「小トメ」は、素晴らしかった!

・尾崎益三氏は、犬界には珍しい立派な人格者だが、郷土愛が強すぎた。そうでなければ、もっと素晴らしい犬を残すことができたのでは。と残念に思っている。

●再び、石や石州犬についてもこう記載されている。

「私は、もともと山陰の柴犬が、どれも純度が高く、質的にも無難な犬とは思っていませんでした。例えば、日保全国展で高位入賞した杢号などは、その願望や体型・動作などの中に、なんとなく重苦しいというか、すっきりしないものを感じており、有名な石(島根・下山氏。小一七〇)でさえ、ただ後肢の難点だけでなく、年齢のせいもあったでしょうが、野生動物風の鋭敏さが少し不足しているように感じていました。(中略)石とは型が少し違うが、ユワ(ゴマ雄)の方が、質も体型も高いものと思ったが、東京へ来て2、3胎くらいを残して病死し、惜しいことでした。」

山陰系の柴犬を、あまり評価していないように見受けられますが、中城さんは、紅子という犬に対して、「戦後に生き残っていた、ほとんど唯一の、純血に近い柴犬としての紅子」「顔貌が抜群であっただけでなく、鋭敏で賢明な頭脳と鋭い感覚と、大胆な落ち着きを持っていました」と絶賛です。

しかし「紅子」の母は、鳥取・尾崎家の犬「ハナ」であり、父は「石」の子の「アカ」です。

つまり、「紅子の4分の3」は、山陰の犬でできています。

「紅子」って、名前もステキですね!


柴犬〜犬種ライブラリー〜

 

編 者:愛犬の友編集部

発行日:平成14年10月30日

発行者:小川雄一さん

発行所:株式会社誠文堂新光社

価 格:2600円+税

 

こちらも絶版となっていたのですが、ラッキーなことにアマゾンで古本を見つけることができました。実は、ネットで古本を買うのは初めてだったので、ちょっと不安だったのですが、新品同様の綺麗な状態の本が、しかも当時の定価よりも安く購入することができ驚きました。

 

借りた本は、返却日があるので、すぐにここにアップするのですが購入したものはついつい。。

ということで、アップするのが遅くなってしまいました!すいません。。 

 

美しいステキな表紙であり、最近の本なので、写真が中心の楽しいムック的な本かと思っていたのですが、中身は硬派で、柴犬に関する専門的な情報が満載です。その起源と歴史から、飼い方、繁殖の仕方、展覧会の出展方法、また血統書や病気についてなど、柴犬を飼う人にとって、必要な情報が丁寧に細やかに紹介されています。

執筆された方の中には、日本犬保存会の審査委員の様な方もいるのではないかと思われます。

 


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所1】

■目次:1 柴犬の起源と歴史 →明治・大正から昭和 天然記念物 柴犬の誕生 樋口多喜男氏(20p)

 

【その概要】

●日本犬保存会の初期の展覧会において入賞した犬の中から、代表的な犬15頭が掲載された表があり、その中に石州犬が4頭記載されている。また鳥取の犬(因幡犬)も3頭記載されており、約半数を山陰系の犬が占めている。山陰系の犬と、その血統をひく犬は次の8頭である。

 

第2回 ユワ号 (島根)雄 ゴマ

第4回 力 号 (鳥取)雌 赤

第5回 神風号 (島根)雄 ゴマ

    石 号 (島根)雄 赤

第6回 杢 号 (島根)雄 赤

第7回 赤 号 (鳥取)雌 赤

第8回 アカ号ー富嶽  雄 赤 ※石号の子、この表の中では唯一犬舎号がついている

第9回 ミクニ号(鳥取)雌 赤

戦前には、山陰系の犬が大活躍していますね!

ところで、島根の4頭は、すべて雄犬で、鳥取の3頭は、すべて雌犬というのが、とても興味深いです。尾崎益三さんは、石州犬の、特に雄犬の良質さに注目して、山陰柴犬の作出に挑んだのかもしれません。

 

また、この中の「神風号」という犬は、あまり記録が残されていないのですが、中村鶴吉さんが昭和11年に書かれた原稿の中では「石州一の名犬」と表現されています。ちなみに同時期に山出しされた「石号」には、まったく触れていません。「神風」と「石」では、名前を付ける気合の入れ込みようから違いますので、中村さんからすれば、「神風号」は、よほどの名犬だったのでしょう。しかしその後、名前が残っていないのは、長生きせず子にも恵まれなかったのではないかと思われます。

「神風号」と「石号」、その後の運命も、大きく違う対照的なものとなりました。。

 


愛犬の友7月号〜柴犬マニア〜

 

編 者:愛犬の友編集部

発行日:平成29年6月25日

発行所:株式会社誠文堂新光社

価 格:933円+税

 

このコーナーで紹介した本の中では、唯一、普通に本屋さんで購入できた本です。山陰柴犬が取材されているという事で、購入したのですが、ありがたいことに「石州犬」や「石号」のことにも触れられていました。

柴犬特集というので、可愛い柴犬たちが紹介されている写真集的なイメージを持って買ったのですが、ちゃんと柴犬の歴史や哲学、美学などにも触れられていて感動しました。改めて、愛犬の友編集部さんの戦前から変わらぬ編集姿勢に脱帽です。

 

今回、石州犬を調査するために、いろんな書籍や文献にあたったわけですが、この誠文堂新光社さんの愛犬の友編集部という存在は、本当にありがたいものでした。質量ともに、とても貴重な記録が残されていて、現在でも当時の貴重な情報に触れることができましたことを心から感謝します。


【この本の中で石州犬が記載されている箇所1】

■目次:柴犬の哲学(10p)

 

【その概要】

●柴犬の基礎を築いた「中号」を紹介する文章中、また系統図において「石(島根)」と記されている。

●特筆すべきは、石号の写真である。いろんな書籍で同様の写真は、何度も見かけたが、この写真は他のものよりトリミングが広くなっていて、右側に「石号のリードを持っていると思われる人の足とコート」が写り込んでいる。もしかして、これは「中村鶴吉」さんではないだろうか。石号そのものも、今まで見た写真の中では、一番状態が良い。

・・・本当に、中村鶴吉さんだとしたら。。と思うとワクワクします。中村鶴吉さんの写真は、未だ一枚も発見できてはおりません。


【この本の中で石州犬が記載されている箇所2】

■目次:知られざる歴史 昭和初期の日本犬の歩み(53p)

 

【その概要】

●斎藤弘吉氏が作成した「頭骨比較表」の中に、「石州犬ユワ号」のデータが掲載されている。

●ちなみに、斎藤弘吉氏は、日本犬の犬種標準を作るために「良い犬」が亡くなった後、白骨化させて、後に骨格の角度や長さを測定し、美しいと感じる法則・方程式を発見していったとのこと。

斎藤弘吉さんをモデルに書かれた小説「いぬ馬鹿」を読んで、本当にすごい人だなぁ!!と、思っていましたが、ここまでされていたのですね!!


【この本の中で石州犬が記載されている箇所3】

■目次:山陰柴犬の里を訪ねて(60p)

 

【その概要】

●山陰柴犬が、鳥取県の因幡犬をベースに、島根の石州犬を交配して作出されたという事が記載されている。

●その石州犬については「島根県浜田市西部の山間で荷車を引いていた石州犬」と紹介されている。

いつも不思議に思うのですが、石州犬は「猟犬」として、山間部の猟師たちに飼育されていたという記録が多いのですが、なぜか「山陰柴犬」となる石州犬は、いつも「荷引犬」となっています。たまたま尾崎益三さんが持ち帰った石州犬の一頭が「荷引犬」だったのかもしれませんね。


【この本の中で石州犬が記載されている箇所4】

■目次:山陰柴犬の里を訪ねて→尾崎家のアルバムから(63p)

 

【その概要】

●「山陰犬舎系統図」の中にミラ号の親犬として「石州系」と記載されている。

●「信州柴犬・中号と山陰柴犬」の中に「石(島根)」の記載あり。

山陰犬舎の犬たちが、どこまでが「因幡犬」で、どこからが「山陰柴犬」かよくわからなかったのですが、ミラ号の親が「石州系」ということは、ミラ号以降は「山陰柴犬」と考えても良いということでしょう。

また、尾崎家のアルバムの中に、「杢号」があり、写真には「鳥取系」との書き込みがあるとのことですが、この杢号こそ、当書籍コーナーの「歴史に残る思い出の柴犬(愛犬の友編集部)」にて

 

●昭和12年に開催された展覧会で入賞した島根の犬。石州犬と思われるが、中村鶴吉氏の名前が一切なく、別ルートで島根の犬が出てきたのかは不明。こう記載されている。

 

父・島根・不肖

母・島根・不肖

登録者・倉恒繁雄

繁殖者・高橋恭亮(島根)

と書いた犬そのものです。ここまではっきり「島根」と、日本犬保存会の記録には書かれているのに、写真に残された「鳥取系」という言葉は、不思議ですね。

このページには、他にも貴重な写真が何点も紹介されています。

それにしても「尾崎家のアルバム」は、ものすごいお宝ですね!!素晴らしい!!!


(3)日本犬に関する書籍

昭和日本犬の検討

 

発 行:犬の研究社

発行日:昭和11年

 

※国会図書館

【この本の中で石州犬が記載されている箇所1】

■目次:山陰犬 特に石州犬について 中村鶴吉氏(127p)

 

【その概要】

●超貴重な「中村鶴吉氏」自筆原稿。

●島根が神の国であり、古代には栄えていた地域であることは歴史上の事実であるが、後世においては文化の中心地より遠ざかってしまった。それゆえ、神代当時からの純血を保った日本犬が残されているのであると、氏は語る。

●その後、石州犬の特徴、そして「石州犬探査記」と続く。

●中村鶴吉さんは、お亡くなりになって50年以上経過されておられるので、この貴重な資料の全文を紹介したいと思います。

中村鶴吉さんの原稿はこちら

石州犬の研究のために、多くの本を読みましたが、この書籍を見つけた時が、一番興奮しました。それまでは、「石号」の犬舎や登録者として、中村鶴吉さんというお名前を見るだけだったのですが、実際にその方が書かれた文章は初めてでした。

国会図書館の登録や、複写サービスの申請など、この書籍を発見してから、実際に手にするまでかなり時間がかかりました。自筆であれば、硬い文章であっても、表現や行間から、その方の人となりが感じられるのではないかとワクワクしたものです。

当会の宝物とも言える資料の一つです!

 

※この書籍には、犬の繁殖についての座談会も掲載されていて、そこにも中村鶴吉さんが参加されています。専門的なことは、今の私にはまだわからないことが多いので、その部分の紹介は、さらに研究を進めたのちにしたいと思います。

 

※また、全体を確認するために、近いうちに国会図書館に行く予定です。

新たな情報がありましたら、追って報告致します。


日本犬中小型読本

 

編 者:愛犬の友編集部

 

発行日:昭和36年6月15日

発行者:小川誠一郎さん

発行所:誠文堂新光社

※広島県立図書館から相互貸借サービスによって借り受ける

 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所1】

■目次:第二部 原産地の犬の性能と特徴→山陰系小型犬の性能と特徴 里田原三氏(60p)

 

【その概要】

●山陰小型犬が今日あるのは、尾崎益三氏のおかげと高く評価。しかし形態の改良の必要と、悍威高いものとするために石州柴(島根系小型犬)を注入し良い成果を得たと記されている。

●島根系小型犬の良さを次のように記載。

「島根系小型犬の良さは、既に日本犬保存会初期の本部展において、数多く石州系の優秀犬を毎回のように出陳して、柴犬会を風靡された「エンペーカー」中村鶴吉氏のあることは、古い愛犬家の記憶に新しいところで、当時の名犬「栃号」「石号」等を想起されるならば、山陰系の良さも十分理解されると同時に、島根系と鳥取系との交流の上に、現在の山陰系小型犬が成り立っていることを知っていただけることと信じて疑わないのである。石州系のあの広い頭蓋、切り削いだような耳、太く逞しい顎、頑丈な四肢とともに、黒味がちな濃茶の被毛は今なお記憶に残るものがある。山陰系小型犬の現在の形態において、この石州犬の血液が、山陰、山陽両道の脊髄山脈地方の狩猟家が長年に渡るインブリードに過ぎた柴犬の血液を浄化して、今日の我が国の根底をなすものとなった、その底の深さと表面の広さを思う時、全くわれわれの脅威とするもので、実に「ヤマカゲ」(山陰)犬舎の三十年に及ぶ、えいえいたる真摯な繁殖と保存とによって、招来されたるものであることを痛感して、山陰系小型犬の前途を祝福したいのである。」

「柴犬会を風靡された『エンペーカー』中村鶴吉氏…」という表現、しびれますね〜〜。石州犬の特徴も具体的で勉強になりました。また。石州犬はじめ、山陰系小型犬を高く評価してくださり、嬉しくて泣きながら入力しました。山陰柴犬と石州犬の関係についても、一般的に言われているものとはやや違いがあるようです。形態の改良の必要と、悍威高いものとするためとは初めて目にしました。

 

●石州犬は、鳥猟にすぐれていること、そのため筆者は島根で猟をしていないことを悔やんでもいる。

●石州犬の特徴は次のように記載されている。

 

「○体型のよく整った点。

○四肢角度の十分な点。

○耳型が特に美しい点。

○目の丸目少なく一般によく沈み、かつ深みのある点。

○毛質に於いて、綿毛も十分であり、かつ剛毛も適度である点。

○幼犬時、口辺に黒毛あるものも必ずその成長と共に消え去る点。

等々である。

 小型犬は、往々その出産率低く、その二分の一、または三分の一ののものが、先天的に後肢立たず、歩行に欠陥を持つのは、よく耳にする難点であるが、それらはその系統と過去において、繁殖過程に何か、無意識的にかあるいは過失的にか、悪因子を持つものを混入したがために、どこまでも残存して遺伝したものと考えられるが、山陰系にあっては、こうした憂いは全く見いだす事はできないのであって、全く今日まで、遺伝上に不安を感じたことがないものであることは、特に同好の方々に申し添えて、これまた特徴の一つとしたいのである。」

石州犬を含む山陰系の犬が「遺伝上に不安を感じない」と記載されているのが、興味深いですね!

 


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所2】

■目次:第三部 日本犬中小型の標準・見方とその課題→日本犬小型当面の課題 若勇清氏(118p)

 

【その概要】

●一般的に近親交配には、弊害もあると言われているが、祖犬の欠陥の遺伝の可能性もあるのではと述べている。石州犬にとっては、ネガティブな情報かもしれないが、あえて紹介したい。

 

「現在小型犬王国を誇るいわゆる『信州柴犬』の名系も、近親交配の連綿によって成果を上げ、多数の名犬を作り上げたのである。が、反面その弊害も顕著に現れ、もはや限度に達した観もある。即ち、1後肢筋筋の異常(ビッコ) 2アンダーショット 3欠歯 4片キンの出産率もかなり高くなり、また臆病(シャイ)や退色の傾向も見られるようになった。

 いうなればピラミッドの頂点位にある優良級や大臣賞名誉犬は、八合目以下の底辺に呻吟する多数のロス犬の犠牲の上に、生まれ出たともいえるのである。

 だが、この現象も、より良き向上への尊い犠牲でもあり、学理的にも避けることのできない悲しい宿命でもあった。特に、小型犬の場合は各原産地とも良質種犬の残存がきわめて少なく、その特色を確立することができなかったのである。いわゆる『信州柴犬』にしても、戦前すでに甚しい質的低下に悩み、島根県から『石号』を移入し、さらに四国系のコロを導入して、その再興をはかり、現在の繁栄をみるにいたったのである。この両犬は、信州柴犬の再興の祖となり、一名『石コロ系』とも称されている。

 だが、この良質の祖犬たちにも部分的にはそれぞれの欠点があり、『石号』には後肢の逆飛節、『ハナ』号は先天的ビッコ(後肢)だったと伝えられている。従って、現在多数の不完全犬の産出も、あながちインブリードによる退化現象とのみ断じるのは早計であって、祖犬がすでにもっていた欠陥の当然の遺伝が大きく含まれているのではなかろうか?」

 

著者が異なるとはいえ、先ほどの「山陰系小型犬の性能と特徴 里田原三氏」の「山陰系の犬が遺伝上に不安を感じない」という内容とは、対照的ですね。石号は石州犬、ハナ号は、鳥取尾崎家の犬ですので、因幡犬と思われます。まさに共に山陰系です。

ちなみに、この文章を書かれた若勇清氏は、現在も使われている柴犬系統図を作製された方でもあリます。

この章の後半では、「欠陥犬の『淘汰』や『繁殖制限』などにも触れています。現実的でかつ難しい問題ですね。。。


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所3】

■目次:第五部 主な日本犬中小型の系統図→日本犬小型(柴犬)の系統図 倉林恵太郎氏(184p)

 

【その概要】

●昭和28年から35年までの日本犬保存会全国展または支部展において優良評価を得た犬を中心にその犬籍簿を調べて系統図が作製されている。

 

昭和36年に作成された系統図ですが、もちろんその始まりの牡犬は「石(島根)」となっています。その後、歳を経るごとに新たに書き加えられ、今私が持っているものは、昭和52年までのものを若勇清さんが作製されたものです。現在では、数十万頭いるようですので、とても紙ベースでは書ききれないことでしょう。

実際の系統図ページをここにアップするわけにいきませんので、私が作成した略系統図を掲載します。


★石州犬については全く触れられてはいないが、興味深かった記事です

 

■目次:第四部 日本犬中小型はどのように使われていたか 小型鳥猟犬 竹本恭太郎氏(151p)

鳥取県出身の著者が飼っていた子供の頃の小型犬(たぶん因幡犬)と、成人してから飼った柴犬(たぶん美濃柴)の猟のエピソードが素晴らしく感動しました。そのエピソードから、小型と中型の特性の違いを推測していたが、それも実に興味深かったです。

この方は、大日本狩猟犬倶楽部を結成し、昭和6年に機関誌『大日本狩猟犬倶楽部会報』を創刊。当時の狩猟犬のパイオニアであったようです。


日本犬大観(復刻版)

編 者:愛犬の友編集部

発行日:昭和62年4月24日

発行者:小川茂男さん

発行所:誠文堂新光社

定 価:3500円

※広島県立図書館から相互貸借サービスによって借り受ける

 

元々の「日本犬大観」の奥付

編集者:鈴木艮さん

発行日:昭和28年9月10日

発行者:小川菊松さん

発行所:愛犬の友社

定 価:500円 

地方売価505円


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所1】

■目次:原産地日本犬の性能と特長→山陰小型犬 尾崎益三氏(49p)

※日本犬保存会が出している「日本犬のすべて」にも、同じ原稿が掲載されています。

 

【その概要】

●日本犬保存会の役員も長く勤められ、山陰柴犬の保存と作出に大きな功績を残された尾崎益三さんが、語る山陰の柴犬について。兵庫から、鳥取、島根の山の中を隅々まで回り集めた調査結果が、各地域ごとにまとめられている。

●各地域ごとの評価を簡単に紹介する。

□但馬地方:この地方には一匹も日本犬らしいものは見当たらない。

□因幡東部:血統の正しいもの見当たらず、混血が明らか。

□因幡南部:昔は良い犬がいたと思われるが、今は。。

□因幡中部:純血度の高い日本犬が多く残されている。主としてこの地の犬を飼育し、研究。

□伯耆東南部:純血度が高い犬がいたが、残すことはできなかった。

□伯耆西南部:純血度が低い。

□島根県出雲地方:交通文化が早くから開けた地方のためか、日本犬残存は思わしくない。良い犬がいたと思ったら石見の犬だった。

□石見国地方:良質の数の多いことは第一!

●その後、因幡中部の犬と石見の犬の血を交えて、両方の長所を活かして見たいという思いから「山陰柴犬」が誕生することとなったようだ。

●また、当文章にはこの中に、あきらかに中村鶴吉さんについて書かれた一節があるので紹介したい。

島根県石見国に生まれて東京に在住の方が、石州の犬のうち耳の立った犬なればとのことで、どしどし東京に送らせていた人があったのである。

当時東京においてなかなか良質の日本犬をご覧になった方は思い出されることと思う。

この人のために石州犬として認められた一方、残念なことには、石州犬は非常に産地には少なくなって行ったのである」

 

尾崎益三さんのこの文章には、不思議な点が多々あります。

石州犬研究室の実は、大きな研究テーマでもあります。


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所2】

■目次:主要日本犬の系統図→小型犬系統図 田中喜久雄氏(70p)

 

その概要】

●「日本犬中小小型読本」で倉林恵太郎氏が作製した時期より8年くらい以前のため、石より数えて4〜5代、総数も60頭ほどが掲載されている。

 

昭和28年に作成された系統図ですが、もちろんその始まりの牡犬は「石(島根)」となっています。ただ見た目は、信州系よりも山陰系の方が主流的な感じで、それぞれが交差し合っているような不思議な感じです。

ここで掲載できませんが、いつか一頭一頭、確認してみたいものです。

 


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所3】

■目次:名犬作出の体験を語る→小型犬 中城達雄氏(182p)

 

その概要】

●筆者の小型犬作出の経験談が書かれているが、石州犬と思われる「神風号」についての興味深い記載があるので紹介する。

「小型にあっては、中型部に出陳されてやや小さきを惜しまれて、推奨犬となった犬(神風号・一尺五寸)が、翌年度には小型部へ出て、再び推奨犬となるような時期に…」

●また文章内には、「山陰系のユワ号(中村氏)」という部分も。

●石号、ハナ号についての記載もあった。

「中チビ号のみは出産時から弱小で、初めはいざりに近かったが、二ヶ月後神奈川の海辺で好管理のためか、後肢のはこびの悪い程度まで回復したが若死した。これは先天的な不具と見るべきであり、遠祖のイシ号(山陰産、日保推奨犬、逆飛節)とかハナ号(鳥取尾崎犬舎、顔貌秀抜だったがややいざり)などの不具的血液の現れと考うべきであろう。…」

原文ママ

●作出に関する氏のこだわりも紹介したい。

「最後に、前にかえって私の未熟な小型作出から学び得た諸点を一挙して筆を措くとしよう。

一、先ず先見や常識に捕らわれぬ研究心。

二、現実の犬、自分の所有犬や作出犬、利用できる犬、郷土の犬等々に一切捕らわれぬこと。

三、遺伝傾向の検討と確実、大胆な選択。

四、日本犬の系統、本質、表現ならびに歴史的研究(大、中、小型について)

五、本質的にマイナス面をもち、多少にせよ固定または半固定した犬は作出に持ちいぬこと。

六、作出された仔犬の選定 ー 次の交配相手の選定。

七、蕃殖上の ー 交配、安産、育子および運動食事などについて、正しい科学的研究。

八、蕃殖力の強いということが基礎犬選定上相当大切である。

九、悪質ゆえの品位を欠く顔貌、被毛、体型などはなかなか除去することは困難である。」

 

筆者の中城達雄氏は、私が石州犬に興味をもって、初めて読んだ「柴犬研究六十年」の著者でもありますが、柴犬に関しては、大変厳しいストイックな思想をお持ちの方という印象があります。

「ローカル色よりもクオリティ」を、「標準よりも純化」を目指した方ではないでしょうか。

ただ「柴犬研究六十年」には、石州犬のことがたくさん紹介されていて助かりました。何より、まったく犬のこと、日本犬のこと、柴犬のことを知らない人間にとっては、とても勉強になった本でした。

 


日本犬〜日本犬のすべて〜

 

発行日:平成17年12月25日

発行人:卯木照邦さん

発 行:社団法人 日本犬保存会

価 格:1600円 

ホームページで、石州犬について、ご存知の方は教えてくださいと呼びかけたところ、ある方にこの本を紹介していただきました。その後、私自身も日本犬保存会の会員となりまして、この本を購入しました。

中に、中村鶴吉さんご本人が書いた原稿「島根県那珂郡調査記」を発見して、狂喜乱舞?いたしました!!

その原稿は、「日保五十周年史」から抜粋されたものらしく、次はその「日保五十周年史」を探す事となりました。教えてくださった方、どうもありがとうございます!

 


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所1】

■目次:第一章 日本犬の歴史と保存→1 日本犬の歴史→ 日本犬の祖先 斎藤弘氏 (7p)

 

【その概要】

●斎藤弘氏(本名 斎藤弘吉さん)といえば、日本犬研究家であり、日本犬保存会を立ち上げた人であり、あの忠犬ハチ公を世に知らしめた人でもある。この書では、石器時代以降に残された、頭蓋骨などの犬の骨から、日本犬の祖先を探ったものである。この中に、頭蓋骨の各部位らしきもののサイズが比較された表があり、そこに「十石号長野県産」「ジャッカル(牝)インド産」と並んで「ユワ号 島根県産」と記されている。

 

 

斎藤弘吉さんという日本犬界のスーパーヒーローが、石州犬について語る文章は、これまであまり見たことは、ありませんが、このように研究題材としても扱ってもらえているって、なんかちょっと嬉しいですね!(実は、最初は、見落としていた箇所でもあります)


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所2】

■目次:第一章 日本犬の歴史と保存→3 日本犬の調査→ 島根県那珂郡調査記 中村鶴吉氏 (37p)

 

【その概要】

●石州犬を世に知らしめた中村鶴吉氏が、昭和9年に、島根県那珂郡(現浜田市)を純血の日本犬調査を行った記録。

 

中村鶴吉さんの自筆原稿としては、2作目の発見です。この文章を見つけたおかげで、下記の「日本犬保存会創立五十周年史」を知ることができました。また、ここには、石州犬の牝の写真が掲載されています。石州犬の牝を見たのは、これが初めてです。


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所3】

■目次:第三章 日本犬の種類→3 原産地日本犬の性能と特長→ 山陰小型犬 尾崎益三氏 (117p)

 ※「日本犬大観(愛犬の友社刊)」にも、同じ原稿が掲載されています。

 

【その概要】

●日本犬保存会の役員も長く勤められ、山陰柴犬の保存と作出に大きな功績を残された尾崎益三さんが、語る山陰の柴犬について。兵庫から、鳥取、島根の山の中を隅々まで回り集めた調査結果が、各地域ごとにまとめられている。

●各地域ごとの評価を簡単に紹介する。

□但馬地方:この地方には一匹も日本犬らしいものは見当たらない。

□因幡東部:血統の正しいもの見当たらず、混血が明らか。

□因幡南部:昔は良い犬がいたと思われるが、今は。。

□因幡中部:純血度の高い日本犬が多く残されている。主としてこの地の犬を飼育し、研究。

□伯耆東南部:純血度が高い犬がいたが、残すことはできなかった。

□伯耆西南部:純血度が低い。

□島根県出雲地方:交通文化が早くから開けた地方のためか、日本犬残存は思わしくない。良い犬がいたと思ったら石見の犬だった。

□石見国地方:良質の数の多いことは第一!

●その後、因幡中部の犬と石見の犬の血を交えて、両方の長所を活かして見たいという思いから「山陰柴犬」が誕生することとなったようだ。

●また、当文章にはこの中に、あきらかに中村鶴吉さんについて書かれた一節があるので紹介したい。

島根県石見国に生まれて東京に在住の方が、石州の犬のうち耳の立った犬なればとのことで、どしどし東京に送らせていた人があったのである。

当時東京においてなかなか良質の日本犬をご覧になった方は思い出されることと思う。

この人のために石州犬として認められた一方、残念なことには、石州犬は非常に産地には少なくなって行ったのである」

 

この文章には、不思議な点が多々あります。石州犬研究室の実は、大きな研究テーマでもあります。


日本犬保存会創立五十周年史(上下巻)

 

発行日:昭和53年12月25日

発行人:田中喜久男さん

発行所:社団法人 日本犬保存会

非売品 

 

この本は、なかなか手に入らないだろと思っていたのですが、ネットで調べると古書が、5,000円から25,000円くらいで販売されていました。

購入しようか、あるいは国会図書館でとりあえず見てみようかなどと思っていたのですが、超ラッキーなことに、そう思った数日後に、石州犬の情報交換会で、日本犬保存会の島根支部長の柳尾さんにお借りすることができました!!ありがとうございます!!

 


 

【この本の中で石州犬が記載されている箇所1】

■S13年:小型犬審査個評 審査員 尾崎益三氏 秦一郎 アカの評価について(224p)

 

【その概要】

●尾崎益三氏がアカ号を評価している文章は、これまでもあったが、ここでは全文が掲載されている。貴重な資料のためそのまま転記。

・・・・・・・・

就中、日本犬保存会賞を贏ち(勝ち)得た若牡アカ号小・四〇二号は、父石号(島根下山氏)小・一七〇号、母コロ号(四国不詳)小・三一〇号との間に出来たまだ十ヶ月の会員作出犬だが、両親の長所と短所とを巧みに補償し合った小型犬近来のヒットである。毛質、体型はよく父に似、父犬の稍々(やや)眼の大きなところや、老犬のせゐもあらうが、後脚のひどい逆飛節等は母犬によって立派に補償されてゐた。若犬としては珍しいほどの落ち着きと古格ある気品等を保ち、気魄亦良。躰高現在一尺三寸五分にて将来多少の延びを見るかも知れぬが、既に略々出来上がり切ったその躰軀から推しても、又両親犬の躰高、骨格、遺伝力から考へても立派な小型で、オーヴァサイズになる懸念は先ずないと信ずる。かりに躰高に多少の難はあっても、近頃問題になってゐるテリア雑種みたいな見苦しい矮小化などとは同日に論ずべきものでなく、小型ながらも内に凛々たる気魄を湛えた好もしい重厚味は、適当な配偶さへ得れば、真に日本犬らしき小型払拭の今日、将来相当の成果を挙げるものと信じて敢へて三大賞に推した所以。飼育者の一層の自重を望む次第である。

・・・・・・・・・・

 

大絶賛ですね!この後、尾崎家の「ハナ」と「アカ号」が交配し、名犬「紅子」が生まれることとなります。昭和13年ということもあってか、難しい漢字表記も見られますね。


【この本の中で石州犬が記載されている箇所2】

■S24年:小型犬審査個評 牡部成犬組 審査員 渡辺肇 中号の評価について(312p)

 

【その概要】

●戦後になって登場した「中号」の個評。後に、この犬が「戦後柴犬の中興の祖犬」と言われる事となるとは、審査員の渡辺さんも知る由もないが、それを予測したかのような評価となっている。

・・・・・・・・

中号 明石荘 小一二一六号

満一年、体高一尺三寸均整のとれた構成、ほぼ理想に近い体系である。耳、三角形の目付、風貌の品位まず申分がない。若いながらも落ち着いた気品問題なく高く評価できる良犬である。祖犬に、石号小・一七〇号、コロ号小・三一〇号、アカ号、小四〇二号(第八回本部展、日保本部賞)の血を引き、父アカ二号、小五四〇号、母は今展の推奨犬紅子号、小八三七号をもつ本犬は決して偶然に出来たものではない、血統の如何に貴いものかを立証し得るものである。今後の小型種犬としての期待が大きい。

・・・・・・・・・・


【この本の中で石州犬が記載されている箇所3】

■S34年:「中号」の足跡 久保田 信 等 (607p)

 

【その概要】

●上記の「中号」デビューから10年、その間の「中号」の活躍が細かに記載されている。祖犬である「石号」にも触れられている。また、子犬の頃、ジステンパーで3ヶ月に渡って苦しんだこと、大型犬と戦って勝ったものの1ヶ月の重傷を負ったことなどのエピソードも詳しく紹介されている。樋田ご夫妻の献身的な愛情によって中号は、より良く成長し完成して言ったと述べられている。

 

●信州柴犬とに由来と中号

中号」こそ不振の小型日本犬を現在まで隆盛させた、言わば信州の柴犬否全国小型日本犬の元祖と言って過言でないと確信します」と記載されている。

●中号は山梨県明石荘犬舎から中城本部審査員の好意によって長野県、穂高の石川建平氏へ。石川氏から
小布施の桶田秀男氏へ。とのこと。
●受賞履歴
「昭和24年3月 第四回東京支部展」
総合一席を獲得。日保本部賞。全国の大型、中型の名犬を抑えての総合一席と、新聞も褒め称え「信州の無名犬から、天下一流の名犬に飛躍」に。
「昭和24年4月 全国展」
総合一席獲得。ここでも中型・大型犬の名犬を抑えて総理大臣賞を獲得。全国最高位であることを決定付け、また全国小型犬の作出願望の的となった。
「昭和27年日英米国国際畜犬展」
型別総合一席 日本愛犬の友社賞。米国ジョセフ・エー・ピーターソン賞。英国ジャック・ブリンクリー賞授賞
●昭和28年
中号は「愛情について」という映画に出演している。なんとか動く中号が見られないものかと、東宝に問い合わせて見たが
・・・・・・・
お問い合わせ頂きました「愛情について」は、Blu-ray DVD化の弊社からの販売予定は現在までのところございません。また過去にも弊社よりビデオ化しておりません。
折角お問い合わせ頂きました所、おそれ入ります。
この度のリクエストは制作担当に申し伝えさせて頂きました。
また日本映画衛星放送等のケーブルテレビ等で古い映画作品は放送されることもございますのでそちらのHP等でお調べ頂ければと存じます。
・・・・・・・
とのことでした。残念です。
●そのほか、石号が種犬として活躍し、全国に優秀な中系の柴犬が多く産出されたこと、何より、中号が信州の愛犬家に及ぼした精神的な功績は大きいと記されている。
この記事においては、中号がどういった経緯で「戦後柴犬再興の祖犬」と言われるようになったか、その経緯がよくわかりました。

改めて、中号の凄さを感じ、その祖犬石号の素晴らしさを再確認できました。


【この本の中で石州犬が記載されている箇所4】

■S36年:戦前の犬の思い出 アカ号富嶽 間島謙一 (692p)

 

【その概要】

石号とコロ号の間にアカ号ができた経緯について、次の様に触れられている。

 

「父犬石号は東京中村鶴吉氏(エンペーカー)により東京に来た犬であるが、コロ号交配当時は、東京佐藤武雄氏の犬舎にいた。母犬コロ号は、高知北村卯之助氏により堀内氏の犬舎に入り、第七回本部展出陳の帰路情により石号を交配して戻られたと聞く。」

 

計画的というより、たまたまだったということでしょうか?
もしそうなら、本当に不思議な運命的なご縁ですね!

 


【この本の中で石州犬が記載されている箇所5】

■S36年:戦前の犬の想い出  石川雅宥氏(701p)

 

【その概要】

石川雅宥さんが、老犬になった石号について記した文章。

 

「私が佐藤氏の所へよく行った頃イシ号(アカ号・富岳の父犬にて中村鶴吉氏が山陰より連れてきたエンペーカー犬舎の代表犬)が居りました。美濃柴犬を見慣れた私にとって確かに名犬であると思いました。

今の小型日本犬の主流がアカ富岳ー中号となって居る以上この犬の足跡は大きく又偉大な名犬であったと云って過言でないと思います。

その頃もう老齢にて歩行すら困難であったが小さな厚い前傾度ある耳、広い額、よく張った頬、よく締まった太みある口吻、色素良き目、イガ栗のトゲを思わす角度ある良き被毛、後肢は逆飛節になっていたが(これは老齢のためと思う)なんともいえぬ渋さと風格を持っていました。この犬を知っている私にとって今の島根系の小型犬は全然別個のものとより思えないし柴犬としての血度にも疑問を持っています。」

 

老犬になっても、石号は石号なのですね!


【この本の中で石州犬が記載されている箇所6】

■S44年:島根県支部創立者をしのぶ 岡崎守男(1125p)

 

【その概要】

日本犬保存会島根支部の創立者「遠田安道氏」が亡くなった際に、岡崎氏が偲んで日保会誌に寄稿した文章。

石州犬研究会にとっては、この本の中では、一番重要かつ驚きの事実!が記載されていた。

 

 

特に日保第二回全国展に、遠田安道、島根石州産二頭の出陳犬と同時に、中村鶴吉氏(エン・ペーカー)による石州犬が数頭出陳、優秀な評価を受けている記録がある。これらのことについては、古い会員諸兄すでにご周知のことであろう。

石州犬はその昔から、益田市を中心として点在する村々で飼育され、「石号」もまたこの山村に産まれ育った。当時滅び行く柴犬界に中村氏の手によって東京に出された「石号」の作出者、下山氏宅は、益田市から三十キロの山々に包まれた谷あいの、二川部落にあり、「石号」の父母犬「久原」、「コチー号」も、この地で生まれた犬である。

数多く飼育されていた、石州柴の「石号」があったればこそ、「アカ号富嶽」があり、名犬「中号」もまた産み出され、現代の柴犬界の隆盛があるのである。

これら優秀犬の血液のみなもとは、石州石見であり、「コロ号」四国産の血が脈うっている。このことに、昭和二十六年の会報第六号の冒頭、「アカ号富嶽を思う」と題され、新潟支部の間島先生の文中、「父石号、島根下山氏、日保小一七〇、昭和5・11・2生、赤毛、母コロ号(四国不詳)日保小三一〇、昭和10・9生、黒毛 父『石号』は、東京中村鶴吉氏(エンペーカー)により東京に来た犬である」、と明確に記しておられる。

石州犬「石号」を柴犬界の祖とされた中村鶴吉氏(エンペーカー)は、益田駅から三つ東にある美保、三隅駅前で、歯科医を開業され、後に東京に転出された人である。

 

この中村氏よりも早く、三十数キロの山坂を、自転車で柴犬探索中、二川下山家で見られ、是非にと求められ、後日金を持って行かれた時は、すでにエンペーカー中村に送り出されていた、と語られた。

 

 

中村鶴吉さんが、これまで東京で歯科医をされていたことはわかっていましたが、なんと地元でも歯科医をされていたとは!しかも三隅です。三隅といえば、現在の浜田市で、益田市出身ではないことになります。もちろん、益田出身でも、近隣の自治体で歯科医を経営するということも考えられますが、謎です。。。

何より、石号がタッチの差で、東京に送り出されていたとは!!

もし、先に遠田先生が石号を手にしていたら、今頃日本の柴犬界は、どうなっていたことでしょう!

ドラマだわ〜〜〜。

近いうちに、作出者の下山さんのご親族にお会いできるかもしれません。

ワクワク♪

・・・・・

お会いできました!!

石号の生まれ育った家も発見できました!!!